2012年3月27日火曜日

I LOVE GUINNESS!(ギネスビール始めました!)

 GUINNESS BEERと言えば、スタウトビールの王様!暑い日にぐいっと飲むビールも大好きですが、この黒ビールって言う飲み物は実に味わい深く、じっくりと飲みたい酒ですね。
 さて、最近はこの”GUINNESS”、樽生で飲める店が増えてきて嬉しい限りですが、自宅で飲もうとすると数段味と雰囲気が落ちてしまいます。しかし、以前は樽生のサーバーをおいてる店はほとんどなく、いわゆる“PUB GUINNESS”を飲んでいた訳です。今となってはプラスチックのボールが入った「生」が缶で売られていて、それを飲むしか自宅で”GUINNESS”を楽しむ方法はありません。ちょっと違うんですよねえ・・・。樽生とは言わないまでも、昔の「あのGUINNESS」を飲みたい!普通の家ではできないって?そんなことありません。ここ”OLD GRAND KID”には昔懐かしの『これ』があるのです!

 パブギネス用のディスペンサーです。これを使えば、生に近い味わいを得る事ができます。ただパブギネスが売ってなかったので、無用の長物となりかけていたのですが、先日「やまや」で「業務用」をみつけました!

 この「業務用パブギネス」を静かに注ぎ、ディスペンサーのレバーをひいて「ガゴン」とやるとクリーミーな泡が出現。

しばらく待つとご覧の通り!ああ、このディスペンサー貰っといてよかったあああ!

2012年3月25日日曜日

LOCAL SPECIALTIES(おすすめの盛岡じゃじゃ麺)


 盛岡三大麺と言えば、「わんこそば」「盛岡冷麺」そして「盛岡じゃじゃ麺」という事になりますね。「冷麺」に関して言えば、東京あたりで言うような冷麺とは違っていて、だからこそ「盛岡冷麺」となる訳です。以前、仙台で「冷麺」を食べた時は本当にがっかりさんになりました。
 そして「じゃじゃ麺」なんですが、全国的にもあるんでしょうかね?テレビなんかで見たりすると「ジャージャー麺」って言ったりしていて、見ると中華麺がほとんどなのですが、詳しくわかりません(???)・。
 さて、そこで「盛岡じゃじゃ麺」ですが、これです☟

 IHATOVO在住の方々には、当たり前に見えるこの「盛岡じゃじゃ麺」。他の地域の方々には旨そうに見えますかねえ?食し方と言えば、麺の上に乗っている肉みそを麺に「ぐちゃぐちゃ」とかき混ぜ、お好みで酢、ラー油、おろしニンニクなどで味付けして食べます。まあ、「どうぞお好きなように食べてください。」が基本です。最後は、少し具と麺を残して生卵を割り入れ、かき混ぜて店員さんに渡すと、ゆで汁を入れてくれて卵スープの出来上がり。これまた肉味噌や塩・胡椒なんかで好みに味付けをして「ごちそうさま!」となります。
 自分の食べ方は、まず肉みそと麺を少し混ぜて食す。次はラー油をかけて少し混ぜて食す。そしてニンニクを入れて食す。最後は半分くらい残った麺にラー油とニンニクを再投入して全部かき混ぜて完食です。なんかしみったれみたいな食べ方ですが、いろんな味で食べたいのです(笑)。
 この店は、元祖「盛岡じゃじゃ麺」の店「白龍」(パイロン)。いつも行列ができていますが、連休やお盆・正月休みには本当に長蛇の列。実は、足しげく通う「一番星」の2件となりにある店です。盛岡で「じゃじゃ麺」と言ったらこの店です。情報誌にもいつも大々的に紹介されてます。昨日テレビを見てたら、吉永小百合がこの「白龍」でじゃじゃ麺を食べるCMを見ました。東北だけの放送かな?

 さて、こちらは盛岡の中心、「映画館通り」からちょっと路地を入ったところにある「香醤」(コウジャン)。「盛岡じゃじゃ麺」の店としては後発ですが。それでも「白龍」と人気を二分する店です。あまり情報誌では紹介される事はないのですが、ここもまた店の外に行列ができる事しばしば。

 さて、NICHOLASはどっちがお気に入りかというと。最初の写真のじゃじゃ麺を出してくれる店です。
 はい、こっちです!

2012年3月20日火曜日

THE DOOBIE BROTHERS(マイク・ホザックの死を悼む)

 ここ数日間、ドゥービーのCDを聞いたりLIVEを見たりしています。それは、ドゥービーのドラマー&パーカッショニストのマイク・ホザックが亡くなったからに他ありません。日頃からドゥービーは好きなのでよく聞いていますし、ゲッコーズでも”TAKE IT TO THE STREET”と”MUNITE BY MUNITE”をやっているのですが、またいいミュージシャンがなくなったかと思うと残念です。癌だったとか・・・。
 THE DOOBIE BROTHERSの映像を初めで観たのは学生の時で、サンタバーバラの野外ライブでした。ウエストコースト独特の明るい日差しの中でのロックのライブは、ブリティッシュロックのライブとは全く違う興奮を覚えました。
 学生時代からバンドを継続している自分にとっては、観て楽しいバンドとやってみたいバンドとは違います。今までジャズフュージョンやソウル・ロック・歌謡曲や演歌(営業でですけど・・笑)何ど様々なジャンルを演奏してみて、やっぱりDOOBIEのようなライブステージがいいなあと思います。
 マイク・ホザックはキースヌードゥセンと共に、まさにTHE DOOBIE BROTHERSの屋台骨を背負ってきました。どちらかというとキースの方が注目を浴びる事がほとんどだったのですが、目立たないながらも確実にDOOBIEのグルーブを作っていました。自分としては、この目立たないけど実力あるミュージシャン・バンドマンが大好きです。それにしても、何か寂しいです・・・。

 

2012年3月11日日曜日

3.11EARTHQUAKE AND TSUNAMI・・(震災から1年が・・)

 仕事を早く切り上げて、友人と自宅マンションで飲む予定でした。年度末で仕事は忙しかったのですが、週末の金曜日はゆったりしたいと考えていました。もう少しがんばれば楽しい週末だと思っていた午後2時46分、建物に大きな衝撃が起こりました。2011年3月11日の「あの日」です。
 地震が来たその時、建物は激しい縦揺れでどれくらい続いたのかは覚えていませんでしたが、かなり長く強く「これはヤバい!」と建物の崩壊も考えました。その後、地震による被害の確認や安全確保を進めました。仕事場に出入りしている業者から、信号が消えていて街全体が停電だとの情報が。ラジオをつけると沿岸では海水が川を遡っていると。この時は、沿岸の惨状を知る由もありませんでした。
 実家の両親の無事を確認してから、盛岡の自宅へと向かいました。その頃にはすっかり暗くなっており、国道を走る車のライトだけがやけに目立っていたのを思い出します。県全体が停電で、信号も当然ついていません。
 次の日の夕方には電力も回復し、ガスや水道も復旧しましたが、テレビで見る地震と津波による被害に呆然としてしまいました。「あの日」からしばらくガソリンや食料やその他生活物資が不足して、不便な日常を過ごしましたが、とにかく沿岸部の惨状に心が痛みました。
 あれから1年。今日のテレビは震災一色で、この1年人々がどう生きてきたかを放送しています。思う事はたくさんあるのですが、このブログを始めたきっかけはこの震災だったのだと今日改めて思いました。今住んでいる「岩手県」を”IHATOVO”とこのブログで記しているのは、震災から立ち直り宮沢賢治言うところの「理想郷としての岩手」を心から願っているからです。
 この震災で失われたすべての命に哀悼の意を表し、すべての被災された地域がいつの日かそれぞれの”IHATOVO”となる事を願っています。


2012年3月6日火曜日

SUNSET(夕焼けがきれいに見えた日)

 暦はもう3月。「三月は去る」のごとく、これから先はあっという間に時間が過ぎてしまうのかなと感じる此の頃です。仕事先から帰る途中に夕焼けがきれいな時があります。車を止めて写真を撮ろうかと思う事しばしばですが、ついついその晩の酒を飲みたくって(笑)、家路を急いでしまいます。
 この日は2月の末。夕焼けがあまりにもきれいだったのでと撮ってみました。コンデジなのでうまく表現できてないかもしれませんが、仕事帰りにこんな夕焼けが見られるとちょっと心が洗われます。夕焼けの名所ではないのですが、それでも自分には十分すぎる冬の光景でした。

2012年3月4日日曜日

KUJI CITY(復興は進んでいるか?)

 先週久しぶりに「久慈」にいってきました。4年前まで世話になった居酒屋「高はし」の大将の結婚パーティー出席のためです。当日目覚めると雪が・・・。これはヤバいかなと思いちょっと早めにモリーオを出たのですが、結局着いたのは10分前。
 パーティーは盛り上がり、アトラクション(かな?)で神輿が担ぎだされました。

 大将は久慈の神輿団体に所属していて、隣町との交流も密だったようです。実はこの神輿は「野田」の神輿で、震災から1年が経とうとしている先週までどこにも遠征に行けなかったとか。この日に1年ぶりに神輿に魂が宿りました。
 
 翌日ホテルの駐車場で積もった雪を払いのけていると、すぐ隣に三陸鉄道の車両がありました。北リアス線です。まだ全面開通になっていないものの、懸命に列車を走らせています。後1週間であの東日本大震災から1年を迎えます。